2017年9月25日月曜日

背中を押して

解散総選挙
地方の末端議員として思うこと
選択の自由がなく、消去法での投票ほど虚しいものはない
とくに若い有権者にとって、自分や子どもの将来を託すからにはこの候補者にこそ!と期待して一票を投じたいだろう。
これは叶うのだろうか。

さて、本日は特別支援学校の授業ボラ。
知的部門の高校生。
社会体験の授業。
詳細はお伝えできませんが、感じたことを。

先日、ある会議での審議でのこと。
知的障がい者の雇用の現場では課題が発生している。と
彼等は就労訓練はされていても、基本的な社会人としての行動規範が不足している。と
給料をもらう以上結果は出して欲しい。
もちろん、障がい者故、出来ないものは出来ない。
出来ることにもかかわらずやろうとしないことはダメ。
例えば挨拶やお礼や詫びるなど。

障がい者雇用促進法の制定で可能性は広がったものの、需要は偏りつつある。
精神障害者で、治療によって安定されている方は健常者と変わらない仕事が可能。
需要が高まっている。
一方、知的障がい者は人数が増えていても、狭き門であり、雇用内容も発展はしない。
親亡き後の生活を生き抜く為には公的サービスに頼らず、可能な方は就労する。
では、どうしたらいいの?
と混乱して、本日のボラに入った。

先生方の言葉がけがピシッとくる。
甘えない、ルールを最後まで守る。
我慢をする。正しい日本語を使う。
出来たら少し褒める。

どうしても知的障がい者の子どもには感情的に優しくしてしまう。
『この子は理解してないのだから仕方ない』と勝手に思ってしまう。
手を繋いで、世間話に付き合ってしまう。
健常な生徒たちには言えることばが言えない。

後数年で職場に立てば甘えさせてくれる人はいない。
給料をもらう立場だ。

だから、先生方は敢えて、生徒たちの為に厳しくしているのだろう。
ボラの私も歩調を合わせよう。

女性のボラに甘えたい生徒たちも終いには諦めた。
やはり、見抜いているのだ。理解しているのだ。
歩くことが面倒な子が汗をかきかき歩き通した。
背中を押していた私の腕もパンパンだ。
的確に出来た行動には満面の笑顔で褒める。
彼等も笑顔で満足する。
これが知的障がい者への教育なんだろう。

まだまだ深いこの世界。
学ばなければ。

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