原爆の日に思う。
昨晩の地元盆踊り疲れに遅い朝食を摂りながら、記念式典をライブで観る。
息子の『で、何で核爆弾落とすことになった?』に私自身、戦争を知らない世代ながらも語り継がれて来たことを伝える。
72年経った今日でも平和どころか世界各地でテロや紛争は無くならない。
広島市長は平和宣言で原爆投下を『絶対悪』と表現する。
しかし、米国とすればこれ以上、戦争の長期化は避けたい。本土決戦より、効果が高いと判断した。結果、終結になる。米国の判断が正当化されている。
当時のアメリカ国民が原爆爆弾のもたらす惨さを理解していたとは思えない。
戦争は母国を守るために、方法論を軽視される。
私とて『イスラム国』の構成員に家族がいることを分かった上で消滅を祈る。その方法は対話でなく武力で構わないとさえ考えてしまう。
国連の核兵器禁止条約採択に回らなかった日本。
安倍首相は式典で『核保有国とそうで無い国が参画し話し合うこと』を明言された。
正に世界の中で日本でしか出来ないこと。
言葉だけでなく、在任中に具体的な行動を起こして欲しい。アメリカ大統領は何を考えているかが見えない方ではあるが、先ずは日本国民にこの国の将来について問いかけて頂きたい。
72年経った今でも
国を守るために御霊を捧げた先人に靖国で手を合わせる人。いや、A級戦犯こそが罪の無い日本国民を戦場で戦わせたと分祀を願う人。
核兵器保持こそがパワーバランスであり、抑止力になると考える人。いや、唯一の被爆国として丸腰こそが尊い存在と考える人。
語り部がおられなくなる前に、若者に子ども達に自分の国の平和をどう守るのか問いかけて欲しい。いや親世代の私達ですら平和ボケである。話し合う場を作って欲しい。
それこそが道徳であり、英語教育の前にやるべきことと考えます。
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