本日の下野新聞
作家重松清さんのコラムより
『ひとりでいること』について
内容は同級生が修学旅行に行っている日に、自転車で個人旅に出かけて、修学旅行で得られなかったものよりも、もっと大きなものを得た話。今ならば、修学旅行は授業の一環なので、問題視されるが、大人になる前の青年が自分を高めるために敢えてとった挑戦。尊いものである。
私にも卒業旅行をひとり旅にした経験があり共感しました。
また、今現在、ひとり会派(敢えて拒否してるわけでは無いですが)で議員を8年通すと、ひとりでいることが楽というより、ひとりが貴重である事に気がついてきました。
政権、国政うんぬんでなく、住民が自分の町を良くしたいという思いを汲み取る存在に主義主張と同様、大切なものがあるかもしれない。
『ひとり』について
昨日、東京サドベリースクール在籍の12歳の少女の話を聞いた。
フリースクール同様、一般的な学校に行けなくなった子どもの居場所として捉えていた私には衝撃的でした。
自分はこうありたい!
教科書、制服、校則に縛られず、自由でいたい。
ここまで書くと、ただの怠け者に見える。
そこが違う。
本を読もうが、ゲームしようが、ボーとしようがお構いなし。ただ全て自己責任。これはこわいですよ。放って置かれる。つまらなければ、楽しみたければ自分から提案し、全員に提案するしか無い。プレゼンだ。
大人の敷いたレールに乗れば大学卒業まで物を考えることもなく何と無く過ぎていく今。
考えて抵抗すれば、はじかれる。
自分が子どもの頃はもっと色々考えたり、空想した。その時間が今は無い。
12歳の少女の話はまるで人材育成のプロのようだ。パワーポイントも学んで作製したそう。
どこから質問受けても、嘘のように的を得た回答をする。小生意気な口の達者な子どものイメージは全く無い謙虚さ。
いわゆる、偏差値的なものも不足はなさそう。彼女に関して言えば、教科書と先生は不要であることが実証された。
尋ねてみた、友達100人いることを大人は勧めるがどう思うか?
100人の友達より信頼できる1人の友達がいればいいと。
少数派であることにプライドを持ち、我が子が磨かれていくことを時間をかけて見守る親。覚悟が強い。
本来、一人一人の親は我が子の教育、生き方にもっと真剣に向き合うべきではないか。
学校で大勢の友達と仲良く過ごすことを無条件で良しとするのは無責任かもしれない。今の不登校の多さが物語っている。
私は私。あなたと違っていい。
違うからひとりでいい。
ひとりは可哀想でも気の毒でもない。
自由である。
その上で、パートナーや仲間を持てばいい。